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by yaki101

小泉首相とよちゃんの対談

小泉首相(2002年1月現在)は、hideさんのお墓に御参りに訪れたり、自由民主党のテレビCFにX JAPANの「Forever Love」を使用したり、X JAPANのフィルムコンサートを見にきたりと、何かとX JAPANとは縁のある珍しい政治家です。特に首相になられてからの、「Forever Love」使用は大きなニュースになりました。首相になる数ヶ月前、小泉首相は、YOSHIKIさんと某雑誌で対談をしています。(2001年初頭)ここではそのインタビューの一部をピックアップし、私の注釈を加えてました。このコンテンツが、みなさんにとって、特に、YOSHIKIさんをあまり知らない方にとって、YOSHIKIさんについてより深く知る機会になればと思います。
 
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小泉氏
人生には「何がきっかけになるか分からない」ということが往々にしてあるんですが、「X JAPAN」との出会いがまさにそうなんです。いまから3年前。1997年のNHK紅白歌合戦を僕は家族といっしょに何気なく観ていた。「この歌手は知っている」「この歌手は知らないな」とか雑談しながら。そこへYOSHIKIさんたちが登場したんですが、その時点では「X JAPAN」の名前も、当日解散コンサートがあったこともまったく知らなかった。「Forever Love」という曲が大ヒットしていたことも。

ところが―もう独りで歩けない―という歌いだしを聴いた瞬間、思わず聴き惚れ、引き込まれてしまったんです。曲の良さと雰囲気に。聴き終えて、「いい曲だなぁ。彼らは?」と家族に聞いたら、「X JAPAN」といって凄く有名なんだ、と。そこで、さっそく家族に頼んで「Forever Love」の入ったCDを買ってきてもらい、時間があると聴いていたんですよ。

YOSHIKIさん
そうですか。ありがとうございます。

小泉氏
解散の翌年、98年の5月にhideさんが亡くなって、彼は、私の地元・横須賀の出身なんです。それで、私も一周忌の法要に参列して、YOSHIKIさんとお会いした。

YOSHIKIさん
はい。

小泉氏
さらに、横須賀にhideさんの記念館のようなものを作りたいという話を聞いて、僕は横須賀の市長と京浜急行の社長に言ったんです。これは町興しにもなるからぜひやった方がいい。協力できることは協力したほうがいい、と。これが7月20日にオープンする「hideミュージアム」のきっかけだったんです。そして、きょうはYOSHIKIさんと対談でしょう。次々とつながってくるんですね。ひとつのきっかけで。

YOSHIKIさん
(笑って)本当に何がきっかけになるか分かりませんね。

小泉氏
そう。あのとき「紅白」を観てなければ、こうしてYOSHIKIさんと話をすることもなかったじゃないかな。

小泉氏
そして、きょうはYOSHIKIさんと対談でしょう。次々とつながってくるんですね。ひとつのきっかけで。

YOSHIKIさん
(笑って)本当に何がきっかけになるか分かりませんね。


小泉氏
いまはロサンゼルスにいる方が多いんですか?
YOSHIKIさん
そうですね。一年の3分の2ぐらいは向こうにいます。
小泉氏
グループの解散。そして、なにより思いがけないhideさんの死。この2年間はYOSHIKIさんにとってさぞや辛い日々だったと思います。しかし、僕としては、YOSHIKIさんにロスに引きこもっていて欲しくはない。なぜかと言うと、あなたは類い希なる才能の持ち主ですから。インタビュー記事によると、hideさんの死を境に「何もできなくなってしまった」という内容の話をされているけど、YOSHIKIさんの心境を僕なりに理解、承知したうえであえて言わせていただくと、悲しみや辛さを乗り越えて、もう一度頑張って欲しいと思うんです。
YOSHIKIさん
そうですね。僕も、活動しようと思っているんです。思っているというより活動します、今年から。具体的なことはまだ申し上げられませんが。
小泉氏
それは良かった。

小泉氏
これからのYOSHIKIさんの活動に関して僕なりに希望があるんです。この話は後でしますが、僕はバラードが好きなんです。「X JAPAN」の曲で言うと「Forever Love」はもちろん、「Tears」もいいし、「Say Anything」「Endless Rain」といったバラード系が好きだなぁ。

YOSHIKIさん
僕も好きです。

小泉氏
バラードというのはなんか胸を打つでしょう。

YOSHIKIさん
僕はもともとクラッシックピアノから入ったものですから。

小泉氏
それで「アニバーサリー」(天皇陛下即位10周年式典の奉祝曲)のようなすばらしいピアノ協奏曲を作れたんだ。

YOSHIKIさん
子供のこと聴いたのはベートーベンとか、ショパンとかそういうのばかりでしたから。

小泉氏
作曲だけでなく、弾けるというのがすごい。あれだけの曲を。

YOSHIKIさん
でも、僕よりうまい人はたくさんいますから。クラッシックは奥が深いんで、僕なんかまだまだです。
小泉氏
作曲だけでなく作詞もするんでしょう。

YOSHIKIさん
はい。

小泉氏
「Forever Love」にしても「Tears」にしても歌詞が切ないなぁ。「Tears」の―何処へ行けばいい 貴方と離れて―これなんかも実に切ない。

YOSHIKIさん
「Tears」の詞は死んだ父親のことを思って書いたんです、実わ。(これについて詳しくは「YOSHIKI・私・自殺」をご覧下さい。当ホームページの、メインコンテンツの一つです。)

小泉氏
そうですか…。僕は滅多に歌わないんだ。「Tears」は大好きな曲だけど。
YOSHIKIさん
悲しくなるからですか?

小泉氏
それもあるけれど、分かってくれる人がいるかなと思って。僕の周りには世代的に演歌好きの人間が多いから。そういうなかで「Tears」を歌ってもしょうがないでしょう(笑)小さい頃からベーとベーンやショパンを聴いていたと言われていたけど、僕もクラシックが大好きなんです。
もともとクラッシックが好きで、それからエルビス・プレスリーが好きになって、ロックにもいいものが随分あるある、と。しかし、一番よく聴いているのはクラッシックなんです。
YOSHIKIさん
僕も、クラッシックからロックに入っていったんです。

小泉氏
僕は、ピアノではなくバイオリン曲から入ったの。ちょっとバイオリンをかじったものだから。でも、バイオリンというのは下手な人間が弾くとノコギリの目立てみたいになっちゃうんだ(笑)

YOSHIKIさん
僕も、ちょっと弾くんですが難しいです、バイオリンは。

小泉氏
難しいし、レコードを聴いて、「これはいい」と思って弾いてみると全然違うんだね。同じ人間なのになんでこうも違うのかと思って、弾くことを諦めて、聴くほう専門になって。最初の頃はバイオリン協奏曲(コンチェルト)ばかり聴いていましたよ。

YOSHIKIさん
シベリウス(フィンランド出身の作曲家)なんかは?

小泉氏
大好き。最初に好きになったコンチェルトはメンデルスゾーンだけど。僕が初めて買ったLPレコードはメンデルスゾーン。裏がチャイコフスキーでした。


YOSHIKIさん
僕が初めて買ったLPはベートーベンの「第5」かな。裏がシューベルトの「未完成」だったと思います。


小泉氏
そのセットが一番多い。


YOSHIKIさん
両方ともいいですよね。


小泉氏
みんな熱狂するんです。
いくつのとき?「第5」と「未完成」を初めて聴いたのは。


YOSHIKIさん
7歳か8歳ぐらいです。


小泉氏
7歳か8歳で?そんなに小さい時から良さがわかったんだ。
僕がクラシックの良さが分かったのは中学2~3年から高校時代だから。それまでは分からなかったなあ。
まさに栴檀は双葉より芳しだね。 (〔栴檀は発芽したばかりの二葉の頃から早くも香気を放つ意〕俊才は子供のときからすぐれていることのたとえ。)


YOSHIKIさん
10歳までずっとクラッシックだけだったんです。4歳の終わりぐらいからピアノを始めまして、11歳ぐらいのときにロックに出合ったんです。


小泉氏
ピアノを始めたのはどういうきっかけで?


YOSHIKIさん
もともと父親がピアノを弾いていまして。父親にも習いましたし、先生にもつきまして。


小泉氏
ドラムもやるでしょう。

YOSHIKIさん
11歳のときにドラムを始めて、その前にトランペットとか。トランペットも5年ぐらいやったんですけど。

小泉氏
いろんな楽器を弾けるというのは作曲する際、非常にプラスになるんじゃないですか?

YOSHIKIさん
そうですね。やはり、楽器は全部分からないと。ですから、バイオリンとかはオーケストレイション(オーケストラ演奏用の編曲)のためだけに始めたんです。

小泉氏
YOSHIKIさんの曲を聴いていつも思うのは、まず、メロディがものすごく綺麗なんだな。それと背景の音楽―――ポピュラー・オーケストレイションというのかな、これが非常に豊なんです。だから、何度聴いても飽きないし、何回か聴いているうちにまた別の良さが分かってくる。このあたりはクラッシックに似ているんですね。
クラッシックがそうでしょう。最初聴いてもよく分からない。しかし、何回か聴いているうちによさが分かる。
だから、「クラッシックはとっつきにくい」という人は最初の段階でイヤになってるんだよね。

YOSHIKIさん
学校で教えられると、雰囲気が変わっちゃうんですよ。

小泉氏
教え方が間違っているから。本来「音楽」というのは、読んで字の如く「音を楽しむ」ものなんです。ところが、音楽の授業は「音を学ぶ」なんだな。音楽って楽しいんだよ、この曲はこんなにいい曲なんだなというよりもまず最初に、おたまじゃくしがどうだとか難しいことばかり言うでしょう。だから、先生によってだいぶ違ってくるんです。音楽の楽しさが分かるというのは。

YOSHIKIさん
僕はダメでしたね。学生時代はあまりいい評価を貰えませんでした。

小泉氏
でも、ピアノとか弾いたんじゃないの?授業中に。

YOSHIKIさん
いえ、弾きませんでした。僕は結構反発的でしたから(笑)

小泉氏
「X JAPAN」の話に戻るけど、ボーカルのTOSHIさんとは幼馴染でしょう。
YOSHIKIさん
彼とは家が近所で、5歳のときに知り合ったんです。

小泉氏
でも、かなりいろんな葛藤があったみたいだね。

YOSHIKIさん
そうですね。色々と。

小泉氏
そういう意味では、バンドというのは、音楽の面ばかりでなく、人間関係も難しいんじゃないかな。

YOSHIKIさん
とくに「X JAPAN」はリーダーの集まりでしたから。TOSHI以外は全員他のバンドのリーダーだったんです。それを少しずつ僕が集めたんですね。
だから、大変でした。みんな、自分の意見を持っていたんで。hideもそうですね。

小泉氏
みんな、才能があるだけにね。

YOSHIKIさん
そうです。

小泉氏
1982年にYOSHIKIさんとTOSHIさんが中心になってバンドを結成したときは「X」だったでしょう。何で「X」と付けたんです?

YOSHIKIさん
最初、どういう名前にしたらいいか悩みまして。とりあえず「X」にしたんですが、後になってXの文字には未知の可能性、無限の可能性の意味があることが分かりまして、「これはいいな」、と。

小泉氏
アメリカ進出を機にJAPANってつけたの?

YOSHIKIさん
1992年に全米契約を結んでロスへ行ったんですけど、すでに「X」というバンドがあったんです。

小泉氏
アメリカに?

YOSHIKIさん
で、行ってすぐ「X」の弁護士から苦情が来まして。

小泉氏
同じ名前じゃ困る、と。

YOSHIKIさん
はい。どうしよう…、じゃ、JAPANを付けようということになりまして。

小泉氏
JAPANを付ければいいんだ。

YOSHIKIさん
そうなんです。
アメリカには他にも色々規制があって、オーケストラのユニオンを通して人を集めたとしますね。この場合、1回のセッションが3時間なんですけど、3時間するとみんな帰っちゃうんです。レコーディングの途中でも。

小泉氏
どうして?

YOSHIKIさん
3時間で終わりだという意識があって。ですから、仕事の時には常に僕の弁護士にそばにいてもらって、2時間50分ぐらいになると新たに契約書を作ってもらいながら譜面を書く―――ということがよくあるんです(笑)

小泉氏
契約は3時間でも仕事が終わらないんだからしょうがないという気にはならないのかね、向こうの人わ。

YOSHIKIさん
そうじゃないんですね。
ハリウッドなんかもそうですけど、時間でパッパッと区切っていくんです。

小泉氏
極めてドライだねえ。

YOSHIKIさん
ドライです。それだけ演奏家や演技者を保護しているわけですけど、ちょっと極端ですね。

小泉氏
日本人としては、そういう規制は緩和してもらいたいね(笑)
契約の話が出たけど、音楽家として「何もできなくなってしまった」時期に法律を勉強していたそうですね。

YOSHIKIさん
はい。僕は法律関係が凄く好きなんです。

小泉氏
はあー。普通、芸術家というのは法律とかには疎いんだけどね(笑)
どうして法律の勉強してたんです?

YOSHIKIさん
主に著作権問題、とくに知的所有権についてです。

小泉氏
今はインターネットを利用して音楽を配信しているし、音楽に限らずデジタル著作物というのは簡単に複製できるから。技術が進歩したことで。

YOSHIKIさん
いまはテクノロジーが先に進み過ぎて、一般の方々に楽曲をダウンロードしたときに著作権料を払うという観念がなくなってきてまして。これがアメリカでは大問題になっているんです。

小泉氏
いまの話に連なるんですが、情報の伝達が発達したことで、日本の音楽、日本人のミュージシャンも世界を相手に勝負をしなければならない時代になったと思うんです。
この点についてはどうです?
YOSHIKIさんから見て、日本の音楽やミュージシャンは世界に羽ばたくことができますか?

YOSHIKIさん
僕は世界のチャートとかよく見るんですけど、アメリカのチャートにもイギリスのチャートにも日本人のミュージシャンの名前はないんですね。

小泉氏
それは、何故だと思います?

YOSHIKIさん
レベル的には世界に達していると思うんです。デジタル系の音楽を聴いていても素晴らしいミュージシャンがいっぱいいますので。
ただ日本の音楽業界の周りには、まだ高くはないけれど厚い壁があるような気がします。

小泉氏
それは、言葉の問題ですか?

YOSHIKIさん
それもあるし、やはり、意識の問題じゃないですかね。

小泉氏
意識の問題とは?

YOSHIKIさん
アメリカに倣えとか、イギリスに倣えではなく、もっと自信を持っていいと思うんです。目指せアメリカ、目指せイギリスでは、どうしてもコピーになってしまいますから。

小泉氏
コピーでは本物には、まず勝てないから。日本独自のものを追求するべきだ、と。

YOSHIKIさん
逆に向こうの人たちがコピーしたくなるような音楽を目指す必要性があると思います。
小泉氏
話題を変えて、hideさんとはどういうきっかけで出会ったんです?先ほど彼もバンドのリーダーだったという話をされたけど。
YOSHIKIさん
最初は彼に誘われたんです。

小泉氏
YOSHIKIさんが?

YOSHIKIさん
はい。ドラマーとして。でも、僕はTOSHIとやっていくから、逆に「うちに来ない?」という話をしたんです。それがきっかけで友達付き合いになって、そうこうするうちに彼のバンドが解散になったんです。
彼はそのバンドにすごい懸けていたものですから、解散直後に電話してきて「もう音楽辞める」と。

小泉氏
そのとき、YOSHIKIさんは?

YOSHIKIさん
「他のバンドから引き抜きが凄いんじゃない?」と言ったら、「そうだけど、やめる」と言うから、「じゃあ、やめたほうがいいんじゃない」って言ったんです(笑)そうしたら、「エッ」と言われて、それから2~3日して「Xに入りたい」って。

小泉氏
そのころは「X」というバンドがあることも知らなかったものなぁ。
だいたい我々政治家の人間はロックとか、若い人たちが熱狂するバンドのことはほとんど知らないんですよ。
だから―――僕が「X JAPANを再結成してくれるといいな」と言って、それが某スポーツ新聞に大きく出たんです。それを読んだ後援会のおじさんが僕に「先生、バツジャパンって何です?」って言うんだ(笑)
でも、僕も、昨年の「紅白」でその人のことを笑えなくなってしまった。
というのは、「野猿」のことを「ノザルって何だ?」と聞いてしまった!

YOSHIKIさん
僕もまったく同じことを聞いちゃいました(笑) 「野猿」のことは知らなくて。

小泉氏
最後に、これからやろうとしていることは色々あると思いますけど、僕は、オペラ、もしくは、ミュージカルでもいいけど、YOSHIKIさん独自のものを作ってもらいたいと思うんです。
YOSHIKIさん
その場合、テーマは何でしょうね。

小泉氏
それは、やはり「愛」ですよ。悲劇でもハッピーエンドでもどちらでもいいから、YOSHIKIさんのこれまでの音楽、そして、新しい発想を注ぎ込んだものをぜひ作ってもらいたい。
そうすれば、音楽とはこれほど素晴らしいんだ、と。クラッシックはとっつきにくい、オペラには興味がないという人でも、YOSHIKIさんが作ったというだけで何十万という人が関心を持ってくれると思うんだな。「X JAPAN」が東京ドームでコンサートをやれば5万人収容のドームがあっという間に埋まっちゃうんだから。これは凄いことですよ。総理大臣はじめ現職の閣僚全員が参加して講演会をやったって満員にはならないからね(笑)、入場無料でも。
しかも大事なことは、YOSHIKIさんにはクラッシックの素養があり基礎がしっかりしている。
クラッシックのよさを踏まえて、これから新しい、若者を引き付ける音楽を作ることができる。これはものすごく大きな強みだと思うな。

YOSHIKIさん
そうですね。音楽を通じて皆さんに夢や感動を与えたいというのが僕の夢ですから。

小泉氏
期待しています。頑張って!

YOSHIKIさん
ありがとうございます。小泉さんの話には、流石に説得力がありますね(笑)



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by yaki101 | 2004-09-25 00:10 | X JAPAN NEWS